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クリントン政権の「福祉から就労へ」

橋本努

『理戦』2006 summer No.84.所収

 

 

 

はじめに

 現代社会の方向性を特徴づける言説の一つに、「規律訓練社会」から「監視社会」への移行という俗説がある。従来の福祉国家社会は、人々を主体化するための規律訓練権力を張りめぐらせたシステムであったのに対して、現代社会はむしろ、犯罪を防止するための監視力を強化したシステムへと移行しているというのである。はたして本当だろうか。

 なるほど戦後の福祉国家社会における人々の身体は、例えば学校や病院や刑務所といった施設を媒介にして、微視権力による「主体化=自律化」を促されてきたという側面がある。しかし「小さな政府」を理念とする八〇年代以降のネオリベラル社会においてはどうかというと、そこにおいてもやはり、公的機関における微視権力の作用が問題とならざるをえない。イギリスとアメリカにおける最近一〇年間の福祉政策をみてみると、実態はむしろ、福祉の受給者に対する規律訓練権力が強化される方向に向かっているようだ。「福祉(ウェルフェア)から就労(ワーク)へ」というスローガンはまさに、勤勉労働の倫理を人々に植えつけるという、規律訓練権力の強化を示していよう。現代の「主体」は、雇用機会の充実と雇用の促進という政府の政策術において、「新しいパターナリズム」[Mead ed. 1997]の権力に巻き込まれている。

ここで新しいパターナリズムとは、福祉受給者の経済的自立と就労を支援するために、政府が雇用機会を創出すると同時に、就労訓練を監督するという政策の理念である。その権力は最下層の人々を規律訓練することによって、国民国家の社会的義務を遂行させるという調教の作用を伴っている。アメリカではクリントン政権と共に有名になったこの「新しいパターナリズム」は、現在のブッシュ政権においては「思いやりのある保守主義」と呼ばれ継承されている。そしてこの新しいパターナリズムは、現在に至るまで一定の成果を収めてきた。この新しい規律訓練権力に対して、私たちはいかなる評価をなしうるだろうか。本稿ではアメリカの文脈を中心に検討を試みたい。

 

 

1.九六年の福祉改革

 最初に、私たちの先入観を修正することからはじめよう。それはイギリスのブレア政権が掲げる「第三の道」と、アメリカのブッシュ政権の政策指針たる「新保守主義(ネオコン)」の異同にかかわる問題である。一般にこの二つのイデオロギーは、異質であるとみなされている。とりわけ日本では、「第三の道」は左派の賞賛を受ける一方で、「新保守主義」は右派の賞賛を受けている。しかし実際にその政策内容をみてみると、この二つのイデオロギーは驚くほど類似していることがわかる。第三の道は、いわば新保守主義への道であり、またその反対も成り立つと考えられるのである。

 1997年に発足したブレア政権は、一方では金融の規制緩和策を容認すると同時に、他方では「財政出動による福祉の充実」を放棄して、「福祉支援から就労支援へ」と政策を大きく転換してきた。ブレア政権の福祉政策は、アメリカのクリントン政権が1996年(前年)に行った福祉改革を基本的に導入したものであり、それは以下に述べるように、福祉の受給者を福祉依存状態から脱却させ、地域コミュニティを媒介にした雇用創出と就労支援を通じて、人々を労働者として社会に包摂するという道を示している。「第三の道」と呼ばれるブレア政権の福祉改革は、実はアメリカの「新保守主義」の福祉政策を真似ているのである。例えばブレア政権は、児童手当を増額する一方で、ひとり親家庭(例えばシングルマザー)に対する給付を削減している。つまり、受給者が福祉依存状態を抜け出すために、就労を促すという政策を行っている[今井 2005: 125-126]。こうしたブレア政権の政策は、アメリカのクリントン政権における福祉政策と基本的に軌を一にするものであり、「第三の道」は「新保守主義への道」、反対に「新保守主義への道」は「第三の道」であるということができよう。

 ここで「新保守主義」とは、アメリカの90年代において支配的となった諸政策の思想である。読者は「新保守主義」というと、2003年におけるアメリカのイラク攻撃を想起されるかもしれない。しかしアメリカの福祉政策の文脈では、新保守主義の思想はすでに90年代前半から、民主党と共和党の連携によって推進されてきたという経緯がある。以下に述べるように、クリントン政権の福祉政策は、新保守主義思想に導かれていた。図式的に言えば、アメリカでは1930年代から1970年代にかけて従来型の福祉国家思想が支配的であったが、1980年代の福祉国家は新自由主義の思想に導かれ、1990年代の福祉国家は新保守主義の思想に導かれたという経緯がある。では1990年代のアメリカは、どのような意味で新保守主義の体制であったと言えるのか。

この点について、クリントン政権における福祉改革を検討しながら説明を試みたい。アメリカでは1935年から1995年に至るまで、「要扶養児童家庭扶助(Aid to Families with Dependent Children = AFDC)」という制度が福祉政策の基幹をなしてきた。この制度は、親の不在や死亡や障害や失業によって、十分な養育を受けることのできない18歳未満の貧困児童がいる世帯を、援助する目的で制定されたものである。ところがクリントン政権は1996年、約60年間続いてきたこの制度を廃止してしまう。そしてこれに代わって、「個人責任および就労機会調整法(Personal Responsibility and Work Opportunity Reconciliation Act of 1996)」を制定し、このなかに、「貧困家庭一時扶助(Temporary Assistance for Needy Families = TANF)」を設けることにした。こうして従来の「AFDC」制度は、「TANF」制度へと再編されることになった。

 ここで、従来の「AFDC」と新しい「TANF」の違いを比べてみよう。第一に、従来のAFDCでは、とりわけ60年代以降において受給者のエンタイトルメント(法的受給権)がみとめられた結果として、州政府は、受給者に対する給付を制限することができなかった。これに対してTANF制度では、福祉の給付を原則として5年間に制限し、給付に依存した生活が長期間続かないように、言い換えれば受給者の経済的自立を促すように、厳しい制約が課されている。(もっとも州によっては、受給者全体の20%をこの期限制限の適用から免除しているところもある。)第二に、連邦政府から州政府への補助金は、新しいTANF制度の下では、上限を定められることになった。第三に、新しいTANF制度では、州政府に対して就労支援を強化することが義務づけられた。そして就労に応じない受給者に対しては、給付額の減額や給付停止といった制裁が課されるようになった。第四に、受給者の就職率によって、州政府に対する補助金を増減するという競争的な資金配分が採用されることになった。第五に、新しいTANF制度の下では、子供を追加的に生んだ場合に支給される給付金を停止することが可能となった。この他にも、新しいTANF制度の下では、州政府の裁量によって受給者の対象を拡張することが認められるようになっている。

およそ以上のような制度改革によって、アメリカの福祉には大きな変化がもたらされた。まず、従来のAFDC制度には次のような問題があったことを認識しておきたい。すなわち、受給児童の半数以上は婚外子であり、この福祉システムは家庭崩壊を助長している可能性がある、という点である。アメリカでは、高校を卒業した若者は「家を出る」という慣習がある。しかしAFDC制度の下では、女性はシングルマザーになれば十分な福祉を受けることができるので、働くよりも福祉に依存した生活を選ぶことができる。つまり、この福祉制度は、若者に対して「自立」よりも「福祉づけ」になる生活を容易にさせる点で、アメリカの道徳慣習にそぐわないとの批判が提出されていたのであった。また、AFDC制度の下では、福祉受給資格の審査がルースであり、再受給、再々受給が容易になされ、全体として受給者の半数以上が5年以上の給付を受けていたという問題もある。さらに、1994年にはこの制度の受給者の数がピークに達し、約500万世帯、児童数全体にして約八分の一が、この制度に依存するという事態に達していた。

 この最後の事態は、あまりにも福祉づけの状況である。こうした事態に直面したクリントン大統領は、大統領選のキャンペーン期間中からすでに、「従来の福祉政策を終わらせる」とか「二年たつと福祉をもらえなくなる」といったスローガンを掲げていた。そもそもクリントン政権は、年間3,000億ドルに上る財政赤字を解消することを政治の最重要課題としており、福祉政策以外にも、連邦職員数の削減や国防費の削減を大胆におし進めてきた。90年代においてはまさに、クリントン大統領の率いる民主党政権が、小さな政府を推進してきたのである[1]

 従来、アメリカにおけるイデオロギー対立図式では、民主党(リベラル派)が福祉給付の増大を要求するのに対して、共和党(保守主義)は小さな政府を掲げて福祉の給付水準を下げてきた。しかし80年代後半以降になると、こうした対立図式はしだいに崩壊し、民主党が福祉水準の削減を求め、共和党がその反対を主張するというねじれた関係が生じる。例えば、保守派のローレンス・ミードは、1986年の著作『エンタイトルメントを超えて:市民の社会的諸義務』において、福祉受給者に対してはたんに金銭を給付するのではなく、市民として相応しい義務(たとえば勤労倫理)を身につけてもらうべきだとして、福祉の受給と同時に、労働や職業訓練を受ける義務を負うように求めている。これは政策としては、福祉国家の拡充であり、従来の保守派の見解である「小さな政府支持」とはかなり異質である。ミードの提案は福祉受給者に対して、温情的(パターナリスティック)な方向で経済的自立を促すための追加的支援を求めていた。

 このミードの議論に対しては、民主党の側からいくつかの批判が提出されたが、1988年には、民主党のなかでも「新保守主義」の論客と呼ばれるダニエル・パトリック・モイニハンが積極的な推進役となって、従来のAFDC制度の範囲内での改革が始まった。1988年に導入された「家族援護法」がその出発点である[新井 2002: 118-119]。この制度改革は、ミードの提案を一部に含むものであり、各州によって改革の進め方は異なるものの、改革はおよそつぎのような方向性を持っていた[西山 2005]

 まず、受給資格の要件が厳格に審査されるようになった。そして受給者は、受給と引き換えに、労働するという市民的義務を課されるようになった。受給者は勤労倫理や遵法意識を身につけることが奨励され、生活形態を監督されることになった。福祉受給に関わるこれらの追加的政策は、受給者に対する温情的な自立支援であり、「新しいパターナリズム」の政策であるということができる。こうした政策はとりわけ、ウィスコンシン州、ミシガン州、ニュージャージー州において受給者数の数を大きく減らすことに成功し、州政府の財政基盤を強化することに貢献した。

新しいパターナリズムの政策は、理念としては「福祉の追加的支援による温情的な自立促進」を目標にしている。しかし実際には、受給者の自立を促すことによって受給者全体の数を減らし、福祉国家の規模を縮小することに貢献した。そしてこの「家族援護法」に基づく改革は、1996年にはクリントン政権の下で「TANF」制度の導入へと結実することになる。

TANF」制度は、さらなる成果を挙げていく。例えば、TANFの月平均受給者数は、制度導入時の1996年度の受給者数に比して、2003年には約3分の1にまで減少している(2001年度は540万人、20039月には488万人[2])。また、雇用された福祉受給者の平均月額収入は、1996年度には466ドルであったのに対して、2001年度には686ドルへと増加している。シングルマザー世帯の平均収入は、最低所得第5部位の層では、1996年度の1,740ドルから2001年度の2,960ドルへと増加した。児童貧困率については、1996年度の20.5%から、2001年度の16.3%へと減少している。「生活保護給付」補助金額は、1996年の1667000万ドルから、1998年の437600万ドルへと、約三分の一に減少している。このようにTANF制度は、さまざまな成果を挙げてきた。TANF制度の成功は、新保守主義的な福祉政策の成功であり、それは福祉よりも就労の支援をする点で、新しいパターナリズムの方針を明確にした、と言うことができよう。この政策が80年代の新自由主義と異なる点は、第一に、80年代のアメリカにおける福祉受給制度(AFDC)は、それ以前の福祉国家制度の延長にあり、けっして自由主義的なものではなかったという点であり、また第二に、新自由主義の思想家であれば、福祉の受給資格に対して、就労義務(市民の義務)や雇用促進(政府の役割増大)といった温情的-道徳的な権力行使を認めないであろう、という点である。つまり90年代における新保守主義の政策は、現実において「小さな政府」を志向する一方で、理念においては新自由主義思想ほど福祉国家の運営に敵対的ではなく、むしろ温情主義的なのである。

 

 

2.九六年改革の負の側面

90年代後半から現代に至るまで、福祉受給の問題をさまざまな点で解決してきたTANF制度であるが、しかし私たちはこの制度の負の側面を見逃してはならない。例えば、TANF制度によって就職先を見つけた人々のうち、その約半数は、貧困状態から抜け出せていないという報告がある。また、受給者の知識不足のために、このTANF制度の受給資格が終わると、メディケイドや食糧スタンプまで受給資格がなくなると思いこんでいる人々が相当数いるといわれる。また2001年の段階で、TANF制度の受給資格である五年間を使いきった人々は約12万人いるが、こうした人々の受け皿をいかに確保するのかという問題が、今後深刻になると予想される[尾澤 2003]

さらに、このTANF制度はそもそも、受給対象者の生活や就労を継続的に監視することによってはじめて成果を測ることができるものである。それゆえ、監視のコストが増大すれば、結局福祉受給コスト全体が上昇し、かえって財政を圧迫することになるかもしれない。そのような事態が現実になれば、TANF制度は抜本的な見直しを迫られることになろう。パターナルな規律訓練権力の行使には監視のコストがかかる。規律訓練権力と監視の権力は、相即的に増大する可能性がある。またTANF制度は、福祉受給者をどのようにすれば経済的に自立させることができるのかという線引きにおいて、明確な基準をもっているわけではない。それゆえ制度の運用においては、権力行使の試行錯誤を続けなければならないだろう。福祉受給者の就労支援というこの「新しいパターナリズム」は、その権力行使において、恣意的かつ裁量的な権力を用いざるをえない。

 しかもTANF制度は、州ごとに柔軟な運用が任されていることから、それぞれの州政府は、福祉受給者の数を増やさないようにするために、他の州よりも、競って受給水準を低下させるというインセンティヴが働く。いわば「福祉依存度を下げる競争」によって給付水準の下降スパイラル[3]が生じ、多くの州では、連邦政府のガイドラインよりも低い給付水準に留まるという事態が生じる[廣川 2005]。福祉受給の水準が低ければ、人々はおそらく、カリフォルニア州のような比較的温暖な地域に多く集まるのではないかと予想されよう。カリフォルニア州では、福祉受給者の数を増やさないために給付水準そのものを下げているが、その結果として多くの人々の貧困状態を解消できていないという現実がある[4]。もっとも、かりに福祉給付の水準がどの地域でも同じということであれば、多くの受給者はサンフランシスコのような暮らしやすい地域に移住することになり、結果として同地域ではいっそうの貧困化を招くことになるかもしれない。

 加えて、TANF制度の成功は、反対に、この制度に依存する人々に対して、いっそうのレッテル化(スティグマ化)を促してしまうという問題がある。「福祉から就労へ」というスローガンのもとに、働ける人々には職を与えるという福祉政策の改革は、働くことのできない人を「社会に役立たない人間」であるとみなして、倫理的に排除する傾向をもっている。アメリカではしばしば、「福祉依存の母親(ウェルフェア・マザー)」という言葉が蔑称的に用いられることがある。「福祉依存の母親」とは、シングルマザーで自堕落な生活を送っている母親という意味であるが、こうした母親たちがTANF制度のコアに取り残されてしまうと、あるいはまた、そのような母親が実際に人種的マイノリティに集中するとなれば、今度はTANF制度の運営に対する差別的偏見が生じるだろう。

 同様の問題として、アメリカでは60年代以降、家庭崩壊やシングルマザーの増大と並行して、犯罪率の増大が深刻化している。犯罪率の増加は、家庭の崩壊に帰因するという理解が一般に広まっている。犯罪率を抑止するためには、婚外の妊娠を予防して、両親のいる家族を形成することを奨励すべきであるというのが、70年代以降の「新保守主義」者たちの主張である。しかしはたして、マイノリティのシングルマザーとその子供が犯罪率の上昇をもたらしているかといえば、この問題は実証的に検討されなければならない。一部には否定的な見解もあることも指摘しておきたい[5]。もしシングルマザーの家庭が犯罪率と有意な相関関係にないとすれば、新保守主義の主張は大きく修正されなければならない。新保守主義の言説においては、TANF制度の成功が一定の道徳的成功として評価されるために、その結果として「結婚していなければ子供を持つべきではない」とか「マイノリティは性的規範を守っていない」といった、道徳的排除の言語実践をもたらすことになる。ところが問題は、実際には、10代女性の妊娠の三分の二は、性的虐待やレイプによると言われている[大辻 2003:61]。こうした被害者に対して、TANF制度はいかにして道徳的な救済を試みることができるのだろうか。被害者たるシングルマザーとその子供を道徳的に保護するためには、TANF制度の道徳理念たる「勤労の義務」は、かえって逆効果となるように思われる。

 最後に、「TANF」制度は、人的資本形成の点で物足りない、という点を指摘したい。TANF制度は、就労支援であって教育支援ではない。その結果として、受給者の教育機会や職業訓練の機会は、一定の水準に制限されている。例えば、20際未満の未成年者以外は、高校通学を認められていない。職業教育訓練教育は12か月以内に限定され、しかも、その教育内容は就労に直結するものでなければ認められていない[大辻 2003:53]TANF制度は、受給者をなるべく早く就労させることを優先して、人的資本形成の点では人々がいっそう豊かな国民経済の担い手になる可能性を排除している[6]。それどころかTANF制度によって就労機会を得た元受給者の生活は、その25%が貧困線以下の生活を強いられており、就職せずにTANF制度から退出した人々の割合は、退出者全体の20%から25%とされている。

 

 

3.思いやりのある保守主義

こうしたさまざまな欠陥にも関わらず、今のところ「TANF」制度に代わる魅力的な代替案が存在しないために、2000年以降のブッシュ政権もまた、この時限立法を継承することになった。ブッシュ知事の掲げる「思いやりのある保守主義」は、クリントン政権における「新しいパターナリズム」の理念と基本的に変わらない。アル・ゴアとブッシュが立候補した2000年の大統領選に際して、クリントン大統領は、ブッシュ陣営の掲げる政策の指針を「ニュー・デモクラットといってもいい」くらいだと解説したが、これはブッシュ陣営がメディケアの削減を掲げず、福祉政策に関するかぎり、ほとんどクリントン政権の路線を継承するものであったからである。

 しかしブッシュの掲げる「思いやりのある保守主義(compassionate conservatism)」というスローガンには、「新しいパターナリズム」に加えて、もう一つの含意がある。それは「思いやり」という言葉に表されるように、貧しい人々と共に苦しみを分かち合うという道徳である。「思いやりのある(compassionate)」とは、貧困者とともに苦しみを共有するような道徳的行為を称揚する形容詞であり、これに対して「保守主義」とは、政府に頼らないで道徳的な社会秩序を形成していく態度一般を示している。そして「思いやりのある保守主義」とは、福祉受給者に自立と勤労を促すと同時に、各種の福祉サービスを中間集団(自発的結社)への補助金を通じて、人々の自発的な活動を通じて貧困を解決していくという方向を示している。この方向性は、実はすでに、1996年のクリントン政権において採決された「チャリタブル・チョイス(慈善のある選択)」という政策に現れている。したがって思いやりのある保守主義は、新しいパターナリズムと並行して開始された理念であるということができよう。この二つの理念はいずれも、90年代における民主党と共和党に共通するイデオロギー、すなわち新保守主義の産物である[7]

 ところで「思いやりのある保守主義」という言葉は、G・W・ブッシュが1994年にテキサス州の知事に立候補したときから頻繁に用いられてきた用語である。そのときのブッシュの政治参謀であるカール・ローヴは、「思いやりのある保守主義」の理念に相応しい3つの著書を挙げて、ブッシュに対する政治的助言を与えていた。その3冊とはすなわち、マイロン・マグネット著『夢と悪夢』[Magnet 1993]、マーヴィン・オラスキー著『アメリカ的思いやりの悲劇』[Olasky 1992]、および、ホロヴィッツとコリアの共著『破壊的な時代』[Horowitz and Collier 1989]である。これらの著作は総じて、60年代におけるリベラル派の福祉政策が人々を福祉に依存する状態をもたらしていることを批判するものであった。ブッシュ知事はこれらの著作を背景に、テキサス州において中間集団(とりわけ宗教団体)を媒介にした新たな福祉政策を模索していった。それは先述したように、民主党のモイニハンが進める福祉改革制度に沿うものであり、1996年におけるクリントン政権の福祉改革を先取りするものでもあった。

 「思いやりのある保守主義」には、およそ三つの特徴がある[堀内 2002: 107-109]。第一の特徴は「エンパワメント」であり、これは貧困層が積極的に富を蓄積できるように促すために、例えば、社会保障制度を利用した株の所有や投資、あるいは、公営住宅制度の廃止と住宅ローンの援助などを制度的に整備するものである。第二の特徴は「教育支援による所得格差の是正」であり、例えば、福祉受給者の生徒の成績が一定基準を満たしていない場合には、親は他の良好な成績を上げた学校へ子供を転校させる権利をもつ、という政策である。第三の特徴は、道徳的なミッションであり、それは経済的繁栄に取り残された貧困層に対して、中間集団とりわけ宗教団体を通じた福祉活動を展開することである。この第三の特徴は、1996年のクリントン政権において成立した「チャリタブル・チョイス」制度に体現されている。

 では「チャリタブル・チョイス」とはどのような制度であろうか[新田 2003: 79f][木下 2003]。従来のアメリカの法律では、薬物依存症やアルコール依存症からの脱却、就労支援、助成金つきの食事、職業リハビリテーション、保健クリニックなどの活動において、宗教団体が国の公的資金を得てサービスを行うことが禁止されてきた。そのようなサービスを宗教団体が請け負うためには、その団体とは別の組織を設立し、施設から宗教的なシンボルを取り除くことが求められてきた。ところが1996年の福祉制度改革法において、宗教団体はその宗教的性格を維持したままで、政府の福祉サービスを請け負うことができるようになった。この制度改革は、サービスの受け手が慈善団体の活動を積極的に利用できるように促すものであることから、「チャリタブル・チョイス」条項と呼ばれている。

 チャリタブル・チョイス条項の導入によって、各種の宗教団体は、宗教上の信念やシンボルを維持したまま、政府の資金を得て福祉サービスを行うことができるようになった。つまり政府は自ら貧困者に対する福祉サービスを施すのではなく、各種の中間集団がもっている自発的な活動の力を促すことによって、人々の信仰心を貧困者対策に動員する可能性を見出したのである。

 もともと「思いやりのある」という用語は、シャフツベリーやアダム・スミスなどのスコットランド啓蒙の思想家たちにみられるジャーゴンである。それは古典的自由主義の道徳観において用いられてきた用語であり、そのかぎりで「思いやりのある保守主義」とは、福祉国家社会よりも以前の、古典的な自由主義社会を理想とするものであると言うことができる。しかし現代のアメリカにおいて「思いやりのある保守主義」という言葉は、かなり異なる意味で用いられている。それは19世紀後半から20世紀前半にかけての、初期の福祉国家政策の理念を採り入れている。初期の福祉国家は、意志と理想をもったさまざま活動家たちによって鼓舞されていた。それは決して国家による福祉の独占を求めるものではなく、むしろ人々のフィランソロフィー(博愛心)に基づく福祉サービスを理念とするものであった。ところが現実の福祉国家は、20世紀後半になって、そのような道徳的な使命を失い、政府による「信条なき福祉ばら撒き行政」へと転落する。この堕落状態を是正して、初期の福祉国家建設の「志」を取りもどそうというのが、新保守主義者たちの主張にほかならない。

 では現代の新保守主義者たちが掲げるチャリタブル・チョイス制度は、どこまで成功しているといえるだろうか。実際にチャリタブル・チョイス条項を利用している州は、2000年の段階で10州程度であり、他の州政府はこれを模索中であるか、あるいは明確に禁止しているところもある。それゆえ現時点では、この条項の成果を国全体として評価をすることはできない。しかしこの条項が抱える法的・制度的な問題点は、理論的に検討するだけでも深刻であるように思われる。

ここでチャリタブル・チョイスの具体的なルール規定を、ごく簡単に頭に入れておこう。まず、政府は認定した宗教団体を資金の配分面で差別してはならず、その宗教団体の宗教的性格と活動の自由を認めて、統治形態に対する介入を禁止されている。次に、各種の宗教団体は、利用者の信仰を根拠に差別してはならないことになっている。例えば、キリスト教徒の薬物依存者が、イスラム教の団体による福祉サービスを受けたいと思う場合、イスラムの宗教団体はこのキリスト教徒に対するサービスを拒むことができない。ただし逆に、このキリスト教徒の薬物依存者が、自身の信仰上の理由からイスラム教の団体による福祉サービスを拒否する場合には、加えてまた、周囲に他の宗教団体による同様の福祉サービスがみあたらない場合には、政府は責任をもって、当人への福祉サービスを行う義務があるとされる。最後に、宗教団体が政府から補助金を受ける場合には、財政上のアカウンタビリティを要求され、その補助金を例えば、施設の改修のために用いたりしてはならないとされている。

 以上のようなルールにもとづくチャリタブル・チョイス制度は、実際には次のような点で運用上の無理がある。

例えば、キリスト教徒の薬物依存患者が、イスラム教の団体を通じて依存症から立ち直る場合、そこには当然、宗教の力が働いていると予測されよう。おそらくこのサービスの受け手は、宗教的なコミットメント(信条)の力を得て、つまりイスラム教に改宗することによって、依存症から立ち直ることができるであろう。しかし政府は、こうした信仰による問題解決を促進するために、はたして公的資金を用いてよいのであろうか。そのような活動は、政教分離の理念に反するのではないか。実際、ルイジアナ州の教会活動では、信仰による問題解決に対する批判が市民団体から提出されている。

また、政府からサービスを委託される宗教団体は自発的結社であり、非営利団体であることから、その内部では雇用の人種的差別が認められることになっている。しかし政府の教務を委託された中間団体がそのような差別を許容することは、リベラルな原理に反するように思われる。

第三に、このチャリタブル・チョイス条項のもとでは、仮想的には次のような事態が起こるかもしれない。それは例えば、ネオナチのような全体主義国家の実現を掲げる宗教団体が政府から補助金を得て、アルコール依存症患者、薬物依存症患者、ホームレス、ニートなどの人々に愛の手を差し伸べ、低コストで問題を次々と解決していくような場合である。このような中間集団は、博愛心に満ちた福祉サービスおいて十分な資格をもつが、しかしこの団体の成功は、民主主義の基盤を揺るがしかねない。もちろん実際には、政府は宗教団体に対する資格を取り消すことができるので、大きな問題にならないと期待しうる。しかし思想的には、あるいは地域社会の問題としては、ある特定の宗教団体の成功が、地域の統治力と拮抗する可能性がある。

 最後に、チャリタブル・チョイス条項にもとづく福祉サービスの委託は、委託された中間集団を監視するというコストを伴う。各種の宗教団体が財政面でルースな経営を展開すれば監視コストは膨大なものとなり、この制度は機能しなくなるであろう。実際にいくつかの宗教団体は、委託資金の不正流用によって資格を取り消されている。

 このようにチャリタブル・チョイス条項の運営には、さまざまな困難がある。はたして政府は、各種の宗教団体を公平に扱いながら、しかもこれを正当に監視しながら、福祉サービスの業務を委託することができるのであろうか。この問題は実践を重ねるなかで、徐々にその実効可能性の限界を探るほかないのかもしれない。

 

 

4.おわりに

 アメリカにおける1996年以降の福祉改革は、「新保守主義」の二つの理念、すなわち、「新しいパターナリズム」と「思いやりのある保守主義」に導かれてきた。それは従来の福祉国家と市場社会の中道を探る「第三の道」とは、基本的に同一の理念であり、「福祉から就労へ」というスローガンにおいて端的に表されている。金銭給付から就労支援へ、という福祉政策の転換は、イギリスでは「第三の道」と呼ばれ、アメリカでは「新保守主義」と呼ばれている。そしてその指針は、かなり類似していることを再度強調しておきたい。第三の道は新保守主義への道であり、新保守主義への道は第三の道である。しかしその政策運営は、実際にはさまざまな困難を抱えることを、本稿では指摘してきた。

 ところで、イギリスにおいて「第三の道」を提唱する社会学者ギデンズの名声は確立されているにもかかわらず、新保守主義の福祉政策を提唱するアメリカの論客は誰かというと、日本ではほとんど知られていない。それは先に挙げたマグネットやオラスキー等であるが、その背後にはさらに大物の思想家が構えている。ガートルード・ヒンメルファーブである。残念なことに、ヒンメルファーブの著作はまだ一冊も邦訳されていない。日本ではギデンズの思想が大きな賞賛を受ける一方で、それよりも深みのある思想を展開しているアメリカの論客が邦訳すらされていないのは、やや不公平な扱いであろう。私にはこの日本人の温度差、つまりイギリス左派贔屓とアメリカ中道無視という心理的傾向が気になるので、最後にヒンメルファーブについて簡単に紹介しておきたい。

 アメリカの新保守主義といえば、思想家としては、レオ・シュトラウスとガートルード・ヒンメルファーブが有名である。シュトラウスはとりわけ、アメリカの外交政策に対する思想理念を提供し、これに対してヒンメルファーブは、国内の福祉政策に対して思想理念を提供するといった役割分担がみられる。なお、アーヴィング・クリストルも新保守主義の論客として著名であるが、しかし彼は体系的な著作を著しておらず、むしろ評論家といったほうがよい。これに対してヒンメルファーブは、実は彼女はI・クリストルの妻なのであるが、ニューヨーク市立大学で教鞭をとってきた著名な歴史思想家である。思想家としては彼女のほうが、数段高く評価されてしかるべきである。

ヒンメルファーブはこれまで、次のような著作を著してきた。『アクトン卿』(1952)、『ダーウィンとダーウィン主義革命』(1959)、『ヴィクトリア時代の精神』(1968)、『自由と自由主義:J・S・ミルの場合』(1974)、『貧困の概念:初期産業時代のイギリス』(1984)、『ヴィクトリア時代の人々の結婚と道徳』(1986)、『新しい歴史と古い歴史』(1987)、『貧困と思いやり:後期ヴィクトリア時代の道徳的想像力』(1991)、『どん底をみる:文化と社会に関する反時代的考察』(1994)、『脱道徳化の時代:ヴィクトリア時代の道徳から道徳的諸価値へ』(1995)、『一つの国家、二つの文化』(1999)、『近代へ至る複数の道』(2004)、などである。いずれも渾身の著作で、とりわけ『貧困の概念』はかなりの大著であり、歴史研究の古典となっている。私見によれば、ヒンメルファーブの思想は、現代の新保守主義を代表している。私たちは彼女の思想を検討することなしに、新保守主義の思想を乗り越えることはできないであろう。

また興味深いことに、ヒンメルファーブは、F・A・ハイエクと同様に、アクトン卿とJ・S・ミルを高く評価する点で一致する。例えばハイエクは、ミルの著作『時代の精神(The Spirit of the Age)』を1942年に復刊させるとともに、著作『ジョン・スチュアート・ミルとハリエット・テイラー:二人の友情とその後の結婚』を1951年に著している。ヒンメルファーブはこれに呼応するかのように、ミルの『自由論』を1974年に復刻し、同年には画期的なミル研究の著作『自由と自由主義:J・S・ミルの場合』を刊行している。ところがヒンメルファーブとハイエクは、類似した思想研究から出発しながらも、それぞれ別々の思想に至っている。すなわち、ハイエクは福祉国家の制約条件(自由の条件)を探る一方で、ヒンメルファーブは福祉国家の重要性をいっそう認めた上で、これを保守主義の理念と結びつけ、新保守主義の思想を紡ぎ出すのである。一例を紹介すると、ハイエクは、イギリスの社会主義者でありまたフェミニストであったビアトリス・ウェッブ女史を「鼻持ちならぬ女性」であると批判しているが、これに対してヒンメルファーブは、ウェッブ女史の博愛心に満ちた慈善活動を新保守主義の理念に採りこんでいる。ヒンメルファーブの思想がもつ独創的な点は、19世紀後半から20世紀前半にかけて台頭した科学的社会主義の運動の一部を慈善事業の観点から評価して、福祉国家と保守主義の有効な関係を探るという思想史の再構成にある。この再構成はとりわけ『貧困と思いやり:後期ヴィクトリア時代の道徳的想像力』(1991)にみられるが、この著作はいまや新保守主義の思想史的古典といえよう。

 アメリカでは90年代以降の福祉改革を導く理念として、新保守主義の思想が台頭している。この思想は、ハイエクの新自由主義思想とは鋭く対立し、現代のアメリカ社会を導く支配的な思想となっている。そしてその思想の中核には、ヒンメルファーブの著作群がある。21世紀最初の政治思想が現代アメリカの政治を導く理念であるとすれば、それは外交理念のシュトラウス、福祉政策理念のヒンメルファーブという二人の思想家によって代表されよう。私たちはこの二人の思想を、いかにして乗り超えることができるのだろうか。日本の現代思想研究に課された課題は、まずもってこの21世紀最初の政治思想、新保守主義の思想を真摯に検討することであるように思われる。

 

 

文献

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廣川嘉裕[2002]「個人責任・就労機会調停法とデュアリズムの進行――1990年代アメリカ福祉改革の動向」『社会福祉学』第43巻第1号、所収.

久本貴志[2005]「アメリカの福祉改革と就労支援――カリフォルニア州を中心に――」『経済学雑誌』第105巻、第4号、所収.

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塙武郎[2000]90年代アメリカ財政の構造変化――民主党クリントン政権下における『福祉国家』化財政メカニズムを解明する――」『社会理論研究』第2巻、所収.

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Mead, Lawrence [1986] Beyond Entitlement: The Social Obligations of Citizenship, New York: Free Press.

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大辻千恵子[2003]1996年福祉改革の意味:20世紀アメリカ社会と『家族』」『アメリカ研究史』第26号、所収.

杉本貴代栄[2003]「アメリカのシングルマザーに何が起こっているか?――「福祉改革」が日本のシングルマザーに与える影響――」『女性労働研究』第44号、所収.

 

 



[1] 連邦政府職員の数は1990年から1998年の間に11%減少した。また国防費は1989年から1998年の間に10.3%減少した[塙 2000]

[2] もっともこの減少の原因は、経済の好況に起因するところもあるので、差し引いて考えなければならない。政府関係の報告書では、この減少の75%TANFの導入に基づくものであるとされるが、少し疑って捉えたほうがよいだろう。阿部[2004: 71]は、1992年から2002年における子供の貧困率の低下が、必ずしもTANFに起因するのではなく、貧困層の勤労収入の増加と勤労所得税額控除の拡充によってもたらされた側面があると指摘している。

[3] 実際には、2001年の段階において、所得のない三人家族(大人一人と子供二人)の給付水準は、アラスカ州で最高の923ドル、アラバマ州で最低の164ドルであり、給付額の格差は5倍以上である。福祉水準の下降スパイラルは、完全競争モデルのような一義的解へと至るわけではない。

[4] カリフォルニア州の実態について、久本[2005]を参照。

[5] 大辻[2003: 63]は、シングルであろうと既婚であろうと、貧しい母親は子供を虐待しやすいことを指摘している。虐待という犯罪に関するかぎり、問題はシングルマザーのシングル性よりも、貧困の度合いであると言えるかもしれない。

[6] 加えて1998年の労働投資法(Workforce Investment Act)は、職業訓練による労働投資の対象を、成人若年層の非自発的離職者に限定することにした。

[7] 1996年にチャリタブル・チョイス条項が採択されたとき、クリントン大統領はこれに消極的であったと言われる[木下 2003: 84]